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株式会社ワルツ代表「井上ちから」の半生を振り返る!/オハヨー乳業編
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目次
前回記事までのふり返り
前回の記事では、ワルツ代表「井上ちから」について、生い立ちから大学卒業までをふり返りました。
前回記事は、以下リンクからご覧いただけます。
>>株式会社ワルツ代表「井上ちから」の半生を振り返る!/生い立ち~大学編 | 株式会社ワルツ
2回目となる今回の記事では、「井上ちから」のオハヨー乳業時代を掘り下げてご紹介していきます。
オハヨー乳業へ入社後の時系列
はじめに、ワルツ代表「井上ちから」が、オハヨー乳業に入社した後の時系列についてお伝えしていきます。
- 2000年4月入社:埼玉営業所へ配属
- 2004年9月:東京支店へ転勤
- 2004年~2006年:首都圏最大規模のスーパーを担当
- 2006年~2008年:全国量販店本部を担当
- 2008年~2011年:流通業最大手のコンビニエンスストア本部を担当
- 2011年10月退社
最初は埼玉営業所へ配属
「井上ちから」がオハヨー乳業に入社後、最初に配属されたのは埼玉の営業所でした。
埼玉営業所に務めている社員は4人くらいで、所長が34歳くらい、先輩が25歳くらいの、比較的若い人が多い営業所でした。
「営業=喋る」という勘違いをしていた
入社1年目の井上は、「営業=喋る仕事」という大きな勘違いをしていました。それは、大学時代のチケット売りにて、「喋る上手さ」で売ることができた体験から来たものでした。
しかし、実際にオハヨー乳業に入社をして営業活動をすると、当然ながら喋りがうまくても自社商品を買ってもらえるわけではありません。なぜなら、スーパーの売り場面積には限りがありますし、スーパーと各メーカーとの繋がりもあるためです。
入社して割と早い段階で「営業=喋る仕事ではない」ことに気がつけたのは、営業として幸運だったと思います。
1年目の終わりにした失敗から多くを学んだ
営業としてさらに大きな成長に繋がったのは、1年目の終わりにしてしまった失敗でした。
スーパーは、各社が新商品を出す春と秋に「棚割」を行います。棚割とは、買い物客が見やすく選びやすいように、陳列位置を決めることを言います。
そのタイミングで井上がお客様に行ったプレゼンの結果が散々で、「自分が売りたい都合だけを押し付けてはダメなんだ」ということを学びました。また、お客様(スーパー)の課題をしっかり聞いて、コミュニケーションを取ることの重要性も、このときに学ばせていただきました。
1年目の終わりに大きな学びを得たおかげで、4年目の段階では埼玉営業所内のNo.2になり、責任感をもって仕事に励むようになっていました。
2004年9月に東京支店へ栄転
埼玉営業所で結果を残せるようになったことで、2004年9月になると東京支店へ栄転することになります。
首都圏最大のスーパーの担当になった
東京支店に移ってから、最初に任されたのは首都圏最大のスーパーでした。
埼玉で学んだ営業方法が、東京のスーパーに対しても通用するのかどうか、多少の不安はあったものの、自分のなかでは自信もありました。
東京と埼玉で感じた大きな違いは、このような大手の取引先は、「売上を落としてはいけない」という点でした。地方ではなにか施策をしようとすると「なぜやろうとするんだ」と言われますが、東京では逆に施策をしないと「なぜやらないんだ」と言われてしまいます。
そのくらい、営業先への意識が違うことを、東京へきて学ぶことができました。早い段階でこの違いに気づけたことで、首都圏最大のスーパーでも結果を残すことができました。
2006年からは全国規模の大手量販店本部を任された
首都圏最大のスーパーで結果を残したことで、次に任されたのは全国規模の大手量販店の本部でした。
意外なことに、オハヨー乳業にとってこの顧客への売上はその時点でかなり減少していました。井上は、この大きく減少した状態からの売上回復を任された形でした。
この顧客の担当になったあとで、井上がまず行ったのは、「バイヤー(買付担当者)とのコミュニケーション」でした。どんな提案を行うにしろ、まずはバイヤーとの関係性がなくては聞いてもらえません。
また、バイヤーに提案を行う際には、商品を仕入れてもらった後の販促についても、具体的に提案しました。たとえば、「オハヨー乳業としてこういったキャンペーンを展開するので、これだけの利益を目指しましょう」といったご提案です。
こうした地道な努力によって、競合他社が多い主力商品「フルーツヨーグルト」の営業に成功しました。そのときは、社内でも非常に反響が大きく、さらに評価してもらうことにも繋がりました。
最終的に、この顧客を後任者に任せる際には、売上を当初引き継いだ時に比べて約10倍にまで増やすことに成功しました。
2008年からはいよいよ流通業最大手コンビニエンスストア本部担当に
大手量販店担当としての実績が評価され、2008年からはいよいよ国内最大手のコンビニエンスストアの担当を任されることになりました。
顧客1社でオハヨー乳業の大きな売り上げを担っていた
コンビニ業界最大手のこの企業は、オハヨー乳業の売り上げ全体を見ても、大部分を担っていました。
そのため、このクライアントを任されたことは栄誉なことであると同時に、重大な責任ものしかかってきました。
上司との関係性に悩んでいた
また、担当営業である井上の売上責任が大きいということは、当然担当の上司の責任も大きなものでした。その上司の責任感からくる圧力はとても大きいものがあり、井上はその上司との関係に悩むようになっていきました。
このとき「コーチング」と出会った
上司との関係に悩んでいたころに出会ったのが、現在も続いている「コーチング」でした。コーチングを学んだことによって、自分の内面と向き合うことができ、上司に対しても自分の言いたいことを恐れずにしっかりと伝えることができるようになりました。
そのことによって、関係性が劇的に変わり、仕事もやりやすくなりました。
そして、2009年11月に上司が異動になり、あらたな上司が配属されてきました。その上司はこのクライアントのことが分からなかったので、井上に相談しながら仕事を進めてくれる上司でした。
その頃になると、コンビニ業界最大手のこの企業と協力してオハヨー乳業の新たなプライベートブランドの開発に携わったり、最終的には取りまとめ役としても活躍するようになりました。
次回は「コーチング~熊本移住」編!
この記事では、「井上ちから」のオハヨー乳業時代を掘り下げてご紹介してきました。
オハヨー乳業時代を総括すると、営業としてのスキルを磨けたり実績をつくることができたりしたのもありますが、人間関係の悩みや課題を「コーチング」との出会いによって解決できたことが、今後の「井上ちから」の人生にとっても大きな自信・転機となりました。
次回の記事では、井上が学んだ「コーチング」についてもう少し掘り下げつつ、オハヨー乳業を退職し熊本へ移住することになったきっかけ等についてご紹介していく予定です。次回の記事も、どうぞお楽しみに!
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2023.07.25