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株式会社ワルツ代表「井上ちから」の半生を振り返る!/コーチング~熊本移住編

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前回までのふり返り


前回までの記事では、ワルツ代表「井上ちから」について、生い立ちから大学卒業まで、オハヨー乳業時代をふり返りました。

前回まで記事は、以下のリンクからご覧いただけます。

>>株式会社ワルツ代表「井上ちから」の半生を振り返る!/生い立ち~大学編 | 株式会社ワルツ

>>株式会社ワルツ代表「井上ちから」の半生を振り返る!/オハヨー乳業編 | 株式会社ワルツ

3回目となる今回の記事では、「井上ちから」のコーチングとの出会いから熊本移住までを掘り下げてご紹介していきます。

 

コーチングと出会って変わった“人生観”

リーダーシッププログラムの仲間たち

 

前回の記事でご紹介したように、オハヨー乳業で流通業最大手のコンビニエンスストア本部の営業を担当するようになってから、はじめて「人間関係の壁」にぶつかりました。

このとき参加したのが、CTIジャパンが主催している「リーダーシップ・プログラム」でした。

 

リーダーシップ・プログラムに参加した

「リーダーシップ・プログラム」に参加して学んだのが、「すべての人にリーダーシップがある」ということでした。

リーダーシップと聞くと“引っ張っていく”イメージがあると思いますが、そうではなく、後ろからのリーダーシップや横からのリーダーシップなど、百人百様のリーダーシップが存在しているという考え方です。

期間は年間で10ヶ月ほどかかり、費用も150万円くらいかかるプログラムでしたが、参加することで自分の意見を「周りを恐れずに」言えるようになりました。

その結果、前回の記事でお伝えしたように、上司に自分が思っていたことを勇気を出して言うことができ、事態を好転させることができました。

 

改めて自分の人生を見つめ直した

また、リーダーシップ・プログラムに参加することで、改めて自分の人生を見つめ直すきっかけにもなりました。

井上は祖父母が熊本出身ということもあって、九州、特に熊本に住むことに憧れがありました。しかし、一人っ子だったため「実家の近くから離れてはいけない」という思いにずっと縛られていました。

リーダーシップ・プログラムに参加して自己啓発されたことで、親のためではなく「自分のための人生を歩むことが大切なんだ」と気が付き、これまで自分を縛っていた思い込みから解放されました。

このとき、「熊本へ移住したい」と明確に思うようになりました。

 

熊本移住を決意/東日本大震災の発生

東京出発時、ご近所の方に見送られて

 

リーダーシップ・プログラムに参加して、明確に「熊本へ移住したい」と思うようになった井上でしたが、まだ明確に移住を決意したわけではありませんでした。

 

「熊本へ移住したい」と思いはじめた頃、東日本大震災が発生

リーダーシップ・プログラムに参加し、「熊本へ移住したい」と思いはじめた頃、東日本大震災が発生してしまいました。

「熊本へ移住しよう」と強く決意したのは、東日本大震災が発生してから1ヶ月後くらいに、気分転換に奥さんと長野の八ヶ岳へドライブした際でした。

奥さんと一緒に八ヶ岳を眺めながら、「熊本の阿蘇への移住」を決意しました。そのタイミングで、奥さんにも阿蘇へ移住したことを伝えました。

悩んだのは、勤めていたオハヨー乳業へ退社を切り出すタイミングでした。

 

オハヨー乳業に辞めることを伝えたのは震災から5ヶ月後

オハヨー乳業に辞めることを切り出せたのは、東日本大震災の影響から会社が平常に戻った7月下旬の頃でした。

震災中は工場が被災した影響で、6割の商品が作れなくなってしまいました。その影響で、1ヶ月くらい仕事ができない状態が続きました。

仕方がないこととはいえ、責任感を持って日々仕事していた状態から営業活動がなにもできなくなってしまったので、「解雇されても仕方ない」と思っていました。

同時に、「このままで家族を養っていけるのか?」という思いも抱くようになりました。もちろん、仕事ができない期間も会社からは給料は支払われていましたが、仕事がない状態でお給料を頂ける状態がずっと続くわけではありません。

そのとき、井上のなかに「自立しないといけない」という考えが浮かびました。それは後に、「株式会社ワルツ設立」という形で実現することになります。

 

せっかくなので熊本までの片道2週間は車で移動した

熊本への道中、早朝の鳥取砂丘にて

 

オハヨー乳業を退社後は、完全に無職だったので、時間だけは無限にありました。

そこで、「人生で片道旅行できる機会はそうそう訪れない」という思いから、せっかくなので熊本までの片道を2週間かけて車で移動することにしました。移動中、半分は車中泊で、半分は全国にいる大学時代やオハヨー乳業の同期の家に泊まりながら移動しました。

この旅で一番驚いたことは、夫婦喧嘩が一切なかったことです。コーチングを学ぶようになってから夫婦喧嘩自体減っていたものの、人間同士なので些細なイザコザはありましたが、そういったことすら旅の間はひとつもありませんでした。純粋に、「今」だけを楽しむことができた2週間で、とても良い思い出として現在も残っています。

 

熊本移住~熊本の広告代理店へ就職

熊本に来ていろいろな人と交流

 

熊本へ移住したのは「2011年10月」で、熊本の広告代理店に就職したのが「2012年3月」でした。

ここからは、その半年間にどんな出来事があったのかを解説していきます。

 

熊本移住後、最初の1~2ヶ月は色々な人に会った

熊本へ移住してから、最初の1~2ヶ月は色々な人から紹介をしていただき、さまざまな人へ会いに行く日々でした。

最初の2ヶ月くらいは非常に楽しい日々を送っていたのですが、無職だったため徐々にお金の問題が発生してきました。

就職活動も同時におこなっていたのですが、なかなか自分のやりたいことや希望の条件に見合う会社が見つからない状態が続いていました。

 

アルバイト生活なども経験した

熊本に引っ越してきてからの年末年始は、夫婦でアルバイト生活も経験しました。井上がスーパーの品出しを行い、奥さんは工場のライン作業のアルバイトを行いました。

スーパーの品出しでは、以前働いていた「オハヨー乳業」の製品も担当しました。以前の活躍と現在の自分を照らし合わせて、すこし怖くなったことを覚えています。

今思うと、そこが熊本へ引っ越してきてからのどん底だったと感じます。

 

コミュニケーション講師を務めた職業訓練校で生徒に

そんな折、コーチングのご縁で職業訓練校でコミュニケーションの講師をやってみないか、というお誘いを頂きました。

お恥ずかしながら、そのとき初めて職業訓練校や失業保険のことをはじめて知りました。そこからは、失業保険をいただきながら、職業訓練校でパソコン操作などを勉強して過ごすことになりました。

そのときの職業訓練校で学んだブラインドタッチは、現在も非常に役立っています。

 

最終的には熊本の広告代理店へ就職した

2011年10月に熊本へ引っ越ししてきて、アルバイト生活や職業訓練校などの経験を経て、2012年3月ついに井上は「熊本の広告代理店」へ就職することに決定します。

「熊本の広告代理店」へ就職することになった経緯や想いなどについては、次回の記事で詳しくご紹介する予定です。

 

次回は「熊本の広告代理店~ワルツ立ち上げ」編!

この記事では、「井上ちから」のコーチングとの出会いから、熊本移住までを掘り下げてご紹介してきました。

コーチングと出会い、リーダーシップ・プログラムに参加したことで、本来の自分の望みと向き合うことができました。その結果、熊本への移住が実現しました。熊本へ移住後は、さまざまな経験を経て、広告代理店へ就職することができました。

次回の記事では、「熊本の広告代理店」へ就職することになった経緯や想い、経験ゼロの状態で広告業界へ飛び込んだあとの活躍などについて、掘り下げてご紹介していく予定です。次回の記事も、どうぞお楽しみに!

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2023.08.07